馬の年輪

 

ある日、外に出ると、家の前に春が来ていた。
―――いや、どうだろう。
今年は素直にそう思ってニヤニヤしていると、天気雨ならぬ、天気雪が降ったり、ちょっとあたたかな日は暖房をオフにしてくつろいだ途端に冷え込んで、歯がガタガタ鳴る始末。猫だましのようなフェイントも、こうたびたびだともう笑えない。季節のことは気にしないでおこうとしたら、慌てて春がやって来たらしい。やなヤツだね。

私は女のクセになりはデカイけれど、どうも心が狭くできているようで、放っておくとすぐに毒素が溜まる。「全米が泣いた」というたぐいのものは、私の人生において一切関係ない。それらにかかわるとたいてい「全然泣けないんですけど」となり、遂には損した気分になって、なんて悪い子なんだ私は!と、自分を傷つけてしまうのだ。

いい話をきくより、本来なら、完全に死体になっているような、地の底まで墜落して、みごとに這い上がってきた物語だと、生きものらしい風情があっていいなと思うんですがね。

こういうことをアカラサマにいうと、大変な非難を浴びて、悪人のレッテルを貼られるかもしれないが、私は闘いが好きだ。かといって、戦争が好きだといっているわけではないし(戦争は好きとか嫌いの問題ではないですね)、喧嘩は大嫌いだけど、なぜか闘いという言葉に心が震える。相手があって結果を決めるのは戦い?の方らしく、私の好きな闘いは、向き合うのは自分の「何か」だったりするのかなぁと思っているが、意味合いはあっているでしょうか?

競馬はどうなのだろう。
勝負の世界だから他の馬と戦わなくてはならないし、オルフェーヴルやゴールドシップのように、自分の「生まれ持ったもの」との闘いに勝てない場合は、地獄をみるような恐ろしい結果にもなることから、競馬はどっちの要素も含まれているんでしょうなぁ。

先日、春にはまだあやしい風が吹く日に、岩内町のホーストラスト北海道へ行ってきた。アドマイヤチャンプの誕生日にあわせて、スポンサー仲間でもある友人と小銭を出し合い、無口のプレゼントをした。いつも一緒にいるウインギガシャトルと似たようなストライプ入りの無口で、つけてあげるとみごとなお揃いのペアルック。チャンプもシャトルも馬の世界ではおじさんなのに、このチョイスは果たして本当によかったのか、何も知らずに並んでいる2頭をみてると、微笑ましいのなんのって。

昨年トラスト入りしたヤマニンキングリーの放牧地に入って、顔を撫でてみた。
キングリーは、脚の状態など気になる部分があり、今のところ1頭で放牧されているが、場長の酒井さんによると、もうまもなく、みんなのいる放牧地の方へ移動させてみようかとのこと。

馬と話せる私も(うそです)、キングリーは「早くみんなのところへ行きたいな」と思っている気がしてならない。
ふいに馬の顔がみえると、急にそわそわして嬉しそうだし、馬体もすっかり良くなって、友だちを作りたいという気持ちの余裕も出て来た頃かもしれないし。

どこの牧場へ行っても、馬たちを眺めていて思うことがある。
―――馬は、自分の年齢と戦歴を認識していて、他の馬の経歴も薄々わかっているんじゃないか?木の年輪みたいなものが、馬たちの中にもあるとしたら…。

キングリーがみんなのいる放牧地に入るうえで、許可を取らねばならない馬がいる。エイシンキャメロンだ。私が初めてトラストに来たときは、ダイタクバートラムがボス的存在だったように思う。その後キャメロンがやって来て、今では一番強い。ひとのことは大好きで、懐っこく甘えるくせに、他の馬が気に入らないことをすると、耳を伏せて怒った顔をする。

ダイタクバートラムはステイヤーSなどを優勝したG2ホースで、種牡馬の経験があり、エイシンキャメロンはアーリントンカップを優勝したG3ホースで、種牡馬に。この2頭の威風堂々とした雰囲気は、自分たちが父親であることを知っているようにも見える。そこに新入りG2ホースのキングリーが加わるとなると、まずはキャメロンの洗礼を受けることになるだろう。

エイシンキャメロン20歳、ヤマニンキングリー11歳。セン馬といっても男同士。喧嘩のやりかたくらいは知っているだろうし、スタッフの皆さんも、慎重に見守るとのこと。
私の予想としては、キャメロンがキングリーを威嚇し、その直後、2歳未勝利の勝ち鞍しかないが、馬たちの間では一番の癒し系で賢者ウインギガシャトルが行事の役目をしてくれるので、血みどろの戦いにはならない見込み。

「あれ?キングリーお久しぶり!」
「もしかしてシャトルくんかい?」
何というめぐりあわせだろう。札幌2歳新馬戦で、1着キングリー、2着シャトルというワンツーフィニッシュを決めていた。
「なんだ、お前ら、知り合いか?」
拍子抜けしたキャメロンがどんな顔をするか楽しみでもある。